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「西宮まちたび博」のプログラムのひとつ、「西宮の奥座敷を行く 生瀬宿街道から紅葉の武田尾温泉を訪ね〼(ます)」に行ってきました。
西宮市と尼崎市の境を流れる武庫川(むこがわ)をさかのぼったところにある西宮市の生瀬(なまぜ)は丹波や但馬と摂津を結ぶ交通の要地で、江戸時代には生瀬宿として栄えました。さらに武庫川をさかのぼった渓谷の武田尾には温泉があります。
10月から始まった「西宮まちたび博2014」では、実に112種類ものプログラムを用意していますが、11月26日(水)に、その一つ「西宮の奥座敷を行く 生瀬宿街道から紅葉の武田尾温泉を訪ね〼(ます)」に参加してきました。
これは、かつて大阪から丹波・但馬・有馬などへの交通の要所だった生瀬宿跡を訪ね、重要文化財などが多数ある浄橋寺(じょうきょうじ)などを散策した後、古民家「〼(マス)カフェ」で一休み。その後、JRで武田尾駅へ移動し、武田尾温泉へ。武庫川渓谷河畔の自然に恵まれた閑静な地にある温泉で、美しい紅葉をめでながら、名物のボタン鍋を堪能するプログラムです。
- 今回ご紹介した「西宮の奥座敷を行く 生瀬宿街道から紅葉の武田尾温泉を訪ね〼」は今年度は終了しました。「西宮まちたび博2014」では、この他にも魅力的なプログラムをたくさん用意しています。詳しくはこちらをご覧ください。
JR福知山線の生瀬(なまぜ)駅に集合し、生瀬宿跡に向かう途中で、江戸時代の古地図で昔の生瀬宿の様子を説明するツーリズム西宮楽らく探検隊の粟野さん。古地図を見ると、びっしりと建物が立ち並び、交通の要地として栄えたことがよくわかります。しかし、残っていた建物も平成7年(1995)の阪神大震災で多くが損壊し、昔の宿場町の面影を残す建物は、今はわずかになっています。
生瀬の浄橋寺(じょうきょうじ)ではご住職のお話をお聞きしました。鎌倉時代に西山浄土宗の開祖である証空(しょうくう)上人が、この地を荒らす山賊に仏の道を教え、武庫川に橋をかけて「浄橋」と名付け、橋の通行料によって彼らの生活を正し、同時に建立した寺といわれています。ご住職の左は、国指定重要文化財のご本尊「阿弥陀如来三尊像」です。素敵な仏さまでした。
浄橋寺の向かいに生瀬皇太(なまぜこうたい)神社があります。生瀬は俳優の生瀬勝久(なませ かつひさ)さんが少年時代を過ごした地であり、社務所の壁には生瀬さんの色紙や、生瀬さんご夫婦のお子さんのお宮参りの時の写真が飾ってあります(黄色い円の中)。
- 地名の生瀬は「なまぜ」と濁り、俳優の生瀬さんは「なませ」と澄んでお読みします。
だんじりの収蔵庫を特別にあけていただきました。
生瀬皇太神社の秋の例祭に登場する「だんじり」は平成に新調され、本格的な彫り物が見事です。写真は「熊谷直実 敦盛呼び戻す」の場面。源平の戦いにおける須磨海岸(現在の神戸市)での有名なエピソードですね。この他にも、七福神や、神武東征から源平の戦い、赤穂義士や大阪の陣など、歴史好きにはたまらない場面だらけです。
生瀬皇太神社の境内のご神木。立派な楠の古木です。
生瀬の古民家を利用した「〼マスカフェ」に立ち寄りました。
カフェの前では本日取れたての野菜や果物の即売中。みかんやらサツマイモやらが、どれも一袋100円。あっというまに売り切れてしまいました。
カフェで一休み。
生瀬からはJR福知山線で武田尾駅に移動し、渓谷の紅葉を眺めながら、徒歩10分ほどの武田尾温泉に向かいます。この道は、昭和61年(1986)に宝塚と三田の間に新線が整備されるまでは福知山線(※)の線路だったところです。今は枕木も線路も撤去され、きれいに舗装されています。
- ※ JRは昭和62年(1987)に国鉄が民営化されて発足しましたので、昭和61年当時はまだ国鉄です。
国鉄の列車が行き来したトンネル。当時は単線でした。
国鉄の廃線跡をはなれ、真っ赤な吊り橋「武田尾橋」を渡って、向かい岸の武田尾温泉に向かいます。
残念ながら紅葉のピークは過ぎていて、かなり落葉していました。
武田尾温泉のマルキ旅館に到着です。武庫川渓谷河畔の自然に恵まれた閑静な地にある温泉です。西宮市内とは思えない静寂さ。筆者の携帯電話は「圏外」でした(機種によります)。
昼食は名物のボタン鍋。
ボタン鍋でおなかもいっぱいになった後は温泉でのんびり。これは2つある展望露天風呂のひとつ「さくらの湯」です。
(SH)