4.兵どもが石の跡
甲山に残る巨石群
国指定史跡 東六甲石丁場跡
甲山周辺を含む六甲山の東麓一帯から切り出された良質な花崗岩は、古くより古墳の石室や寺院の石造物などに用いられた。
江戸初期には、大坂の陣で焼失した大坂城を再築するため、徳川二代将軍秀忠は全国の大名に石垣を築くように命じる。彼らは各地の山から石垣用の石材を切り出し、大坂城まで運んだ。西宮市内、特に甲山森林公園内には、この時の石切場の跡や大坂城に運ばれることのなかった石材が残されている。
公園内の仏性ヶ原から展望台の一帯には、「矢」で割られた石材や、長方形に加工された石材、「ノミ」で調整された石材などが点在しており、中には、「刻印」がある石材(刻印石)も残されている。刻印は切り出した石材がどの大名のものかを示している。刻印には大名の家紋や単純な記号などがある。仏性ヶ原から展望台の周辺では図Aの刻印が刻まれた石材が残されている。
図Aの刻印は、大坂城の石垣では、肥前(現在の佐賀県)の鍋島家が石垣工事を担当した地区で確認されていることから、甲山森林公園の仏性ヶ原から展望台一帯で、鍋島家が石材を切り出したと考えられる。
平成30年2月13日、仏生ヶ原一帯は、「大坂城石垣石丁場跡 東六甲石丁場跡」として国史跡に指定された。
歴史秘話にしのみや【ウブスナ】vol.3-4