3.千年のまち西宮
廣田山経由 えべっさん行き
西国街道の秘密
西宮は、人が住み、町が形成されてから、途絶える事なくほぼ千年の歴史を歩んでいる。
その千年の町を東西に横切る主要な街道が「西国街道」である。羅城門(京都市)から赤間関(下関市)に至る道で、西宮を通る部分は山崎通ともいう。途上にある越水城は、室町から続く動乱の時代に、瓦林城主の瓦林正頼によって築城された。この場所は、西国街道が真下を通り、海上ルートに打ち出る要地、打出浜(芦屋市)につながる。また、当時発展しつつあった西宮の町を見通せたため、戦略上も重要な地であった。
現在の主要ルートである国道一七一号が廣田神社南西戎の越水・西田町の辺りで、ほぼ直角に折れているのには理由がある。それまで芦屋方面に直進していたが、鎌倉時代頃から戎神社の東側に立った市場が活発になるにつれ、西国街道を通る人の足を戎神社に向けさせた。その後、市場の発展に伴い、西国街道の本流も越水で南折して、戎神社経由に変わったからである。昭和になり、国道一七一号の建設を巡っては、西国街道の道幅を拡張する案もあったが、調整がつかず、西国街道に平行して道幅の広い新しい道を建設することとなった。
廣田神社や門戸厄神など趣のある寺社があるこのエリア、歴史巡りにピッタリ。
門戸厄神周辺の西国街道沿いには、解説看板(甲東文化財保存会製作)とともに当時の道標が点在している。
歴史秘話にしのみや【ウブスナ】vol.3-3