重要文化財の赤門大練塀
福男選びのスタート地点としてお馴染みのこの門は、桃山建築の遺構をのこした風格あるたたずまいで、国の重要文化財に指定されています。
神社の境内をとり囲む築地塀のうち、東面および南面に築かれている全長247メートルの練塀は、名古屋・熱田神宮の信長塀、京都・三十三間堂の太閤塀と共に日本三大練塀の一つに数えられ、こちらも国の重要文化財に指定されています。築土の中から発見された古銭により、室町時代に建造されたものと推定されています。
表大門の外側の東南の角には珍しい常夜燈型の道標があります。寛政十一年(1799年)の年号と「西宮大神宮 左 京都大坂 道」「右 兵庫はり満 道」という文字が記されており、西国街道・山陽道の要衝であったことがしのばれます。この道標は西宮市文化財に指定されています。
注連柱(しめばしら)をくぐって少し行くと左手の植え込みの中に銅版屋根のこじんまりした建物が見えます。これが六英堂。明治の元勲、岩倉具視公の私邸の離れで、元は東京丸の内にあったものが縁あって西宮神社に移築されました。
その名前は、明治新政府の主要な人物、三條実美、岩倉具視、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文の六人(六英傑)がこの建物で会合を重ねたということに由来しています。(ふだんは非公開です)
本殿の後ろに広がる社叢、えびすの森は、兵庫県指定の天然記念物になっています。広葉樹林が生い茂り、樹齢300~500年ぐらい、幹回り4~5メートルもあるクスノキもあります。
森の中には立ち入れませんが、豊かな緑の息吹は境内にいても心地よく感じられ、野鳥のさえずりに、時がたつのも忘れそうです。
西宮で育った村上春樹は、小学生の頃、よく西宮神社の境内で遊んでいたと、旅行記「辺境・近境」の中で紹介しています。自転車に乗って商店街を抜けて西宮神社に行っていた春樹少年。境内の深い森は「僕らの仲間にとって素晴らしい遊び場所だった」と書かれています。池の古い石橋で小エビ釣りもしたそうです。