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「西宮まちたび博」のプログラムのひとつ、「参拝の道を歩く 西宮遍路道! 甲山八十八ヶ所めぐり」に行ってきました。
おわんを伏せた形で親しまれ、西宮市内のどこからでも見えることから「西宮のシンボル」といわれている甲山(かぶとやま)(標高309m)の南麓に位置する神呪寺(かんのうじ)は、「甲山大師(かぶとやまだいし)」の名で親しまれる真言宗の古い寺院で、境内の甲山八十八ヶ所と合わせて、江戸時代には参詣の人々が絶えませんでした。
10月から始まった「西宮まちたび博2014」では、実に112種類ものプログラムを用意していますが、11月24日(月・祝)に、その一つ「参拝の道を歩く 西宮遍路道! 甲山八十八ヶ所めぐり」に参加してきました。
これは、甲東文化財保存会の案内で、甲山山麓に残された神呪寺などへの江戸時代の道標、W.M.ヴォーリズ設計の時計台がシンボルの関西学院大学、その構内にある古墳などの歴史的遺物をたどり、最後は甲山八十八ヶ所をめぐるプログラムです。
- 今回ご紹介した「参拝の道を歩く 西宮遍路道! 甲山八十八ヶ所めぐり」は今年度は終了しました。「西宮まちたび博2014」では、この他にも魅力的なプログラムをたくさん用意しています。詳しくはこちらをご覧ください。
甲山近郊には神呪寺の他にも、門戸厄神(もんどやくじん)(西宮市)や清荒神(きよしこうじん)(宝塚市)などの信仰を集めた寺社が点在し、甲山山麓には古い道標が今でも多く残っています。また、古来より道標は人のたくさん行きかう交差点に多く設置されました。上の写真は、阪急甲東園駅をスタートしてしばらくの、今でも交通量の多い交差点(後ろは仁川学院)で甲東文化財保存会の説明を聞いているところです。写真の左右にひとつずつ道標が残っています(矢印の2か所)。さらに写真撮影地点である筋向いの角にも道標があり、この交差点は全部で3基もの道標が残されています。
阪急今津線を渡り、西宮市のシンボルの木となっているクスノキの古木が立ち並ぶ「くすの木通り」を進みます。
関西学院大学へ通じる一本道に出ました。突き当りが関西学院大学です。春は桜がことのほか見事な通りで、「学園花通り」と名付けられています。
関西学院大学(西宮上ヶ原キャンパス)の正門を入ったところ。有名な建築家であり、キリスト教伝道者でもあったW.M.ヴォーリズ設計の、白い壁と赤い煉瓦屋根が特徴の「スパニッシュ・ミッション・スタイル」で統一された美しいキャンパスが広がります。正面の時計台の建物は国の登録有形文化財に認定されており、長らく図書館として学生たちに親しまれてきましたが、創立125周年を記念して2014年9月28日(創立記念日)に新たに関西学院大学博物館として開館しました。(今回のプログラムでは博物館内部には入らず)
- 関西学院大学と同じく西宮市の上ヶ原台地にある神戸女学院大学の、これも同じくW.M.ヴォーリズ設計の12棟の建物が、本年(2014年)、国の重要文化財に指定されています。詳しくはこちらをご覧ください。
関西学院大学構内(西宮上ヶ原キャンパス北西隅)に残る関西学院構内古墳。直径12m、高さ3mの円墳です。
関西学院構内古墳は通常は内部に立ち入ることはできませんが、この日は管理する西宮市立郷土資料館にお願いして、特別に横穴式石室の内部に入ることができました。「西宮まちたび博」ならではの楽しみですね。石室床面から天井までの高さは2.4mで、両側壁は天井に近くなるほど幅が狭くなるように石を積む「持ち送り技法」で造られています。
関西学院の構内を抜け、次は上ヶ原用水路分水樋を見学しました。江戸時代の農村にとって、水は貴重な資源であり、その分配をめぐって多くの水争いが起こりました。上ヶ原用水路分水樋は、昔の水争いの結果の取り決めに従い、仁川(にがわ)上流の水を分水樋で3方面に分けたものです。
上ヶ原用水路分水樋で上流からの流れは、上ヶ原新田、門戸、神呪村の3方面に分けられていますが、水争いの結果、水量も取り決められ、それぞれの村に3尺6寸2分:5寸6分:6寸6分の割合で流されています。
ここからの道標の多くは、寺社の参詣に1丁(約109m)ごとに建てられており、町石(丁石)と呼ばれています。この町石は神呪寺まで十三丁(13丁/約1,420m)であることを示しています。これらの町石は信心深い篤志家によって建てられていますが、この十三丁の町石の裏には「願主武州友山」と刻まれています。この「友山」という人物については不明ですが、遠く武州(武蔵国/現在の東京都、埼玉県、神奈川県あたり)からの寄進者であることがわかります。どういうつながりだったのか、想像がふくらみますね。
さらに道標めぐりは続きます。右側フェンス際にあるのは「九丁町石」。神呪寺まで9丁(約980m)であることを示します。後方の道路の右側は上ヶ原浄水場、道路左側は関西学院大学のグラウンドです。
県政100年を記念し、1970年(昭和45年)にオープンした甲山森林公園に入りました。写真右端が「八丁町石」。神呪寺(かんのうじ)参詣の道程を示す町石は、「十三丁」から、途中いくつかの欠損はあるものの、一丁ごとに神呪寺山門下の「一丁」を示す町石まで続きます。
甲山森林公園の「みくるま池」から甲山がきれいに見えます。紅葉もきれいでした。
昼食休憩の後は、甲山八十八ヶ所めぐりです。これは、一般庶民にとって四国までの交通手段が難しかった江戸時代に、誰でも四国巡礼を体験できるよう、江戸時代の寛政10年(1798)に神呪寺境内に建立された、四国八十八ヶ所の写し霊場(ミニ巡礼地)です。甲山八十八ヶ所を一巡する全行程は約2㎞(四国遍路の約563分の1)。ご案内いただいた、甲東文化財保存会の荒木さんも、ここからはお遍路さん姿です。
まずは、第一番の石仏(右下)におまいりしました。仏さまの隣にはお大師様(弘法大師)がいらっしゃいます。
甲山は巨大な石がつらなる山でもあり、大阪城築城の際の採石場ともなり、今でも結局使われずに終わった巨石が多く残されています。これは第三十四番の石仏ですが、背後の巨石には矢穴(やあな)が2列にたくさん残っています。現代の我々からすると、「石仏の背後の石を刻むとはけしからん」ようにみえますが、歴史的には採石の方が古く、八十八ヶ所ができたのが後の時代になります。
- 矢穴 : 大きな岩を割るためにノミで掘った小さな穴のことで、その穴の列にクサビを打ち込んでいくと、岩がかぱっときれいに割れました。
第六十八番の石仏。甲山八十八ヶ所めぐりは、急坂や岩場を縫う山道の、石仏めぐりの道となっています。背後に見えるのは甲山です。
この105段の階段を登れば、結願札所の第八十八番。神呪寺(かんのうじ)の本堂もあります。
神呪寺境内の展望台からは大阪平野を広々と眺めることができます。
(SH)